最高裁判所第一小法廷 平成2年(行ツ)143号 判決 1991年4月11日
東京都渋谷区幡ケ谷二丁目四三番二号
上告人
オリンパス光学工業株式会社
右代表者代表取締役
下山敏郎
右訴訟代理人弁護士
田倉整
同弁理士
古川和夫
東京都千代田区霞が関三丁目四番三号
被上告人
特許庁長官 植松敏
右当事者間の東京高等裁判所平成元年(行ケ)第一〇八号審決取消請求事件について、同裁判所が平成二年五月二四日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人田倉整、同古川和夫の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。所論引用の判例は、事案を異にし本件に適切でない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大堀誠一 裁判官 大内恒夫 裁判官 四ツ谷巖 裁判官 橋元四郎平 裁判官 味村治)
(平成二年(行ツ)第一四三号 上告人 オリンパス光学工業株式会社)
上告代理人田倉整、同古川和夫の上告理由
(はじめに)
原判決の誤りを指摘する前提として、本願発明の技術内容の概要とその特長点、そして第一引用例である特開昭四九-一二三六九三の技術内容について説明しておく。
一 本願発明は、反応容器に試料を分注し、これに検査項目に応じた試薬を加えて発色反応を起させ、その反応液を光度計で測定して定量的分析を行うものであるが、これらを全て自動化した自動分析機に関するものである.ところが、分析作業を実施しているときに、測定値が通常の測定値範囲を外れた異常値を示すことがある。これは試料の正しい測定値を示すものではなく、試料の異常反応等分析工程中で何らかの問題が発生したことを示し、この場合には、再度分析を行うことになる。この再検も自動的に実施するものであるが、その再検の方式が本願発明では、前回の分析の場合と反応条件を変更するため、試料量又は試薬量を変えた反応液を光度計で測定し、その測定値から演算で真値を求めるようにしたものである。
二 第一引用例は、再検を自動的に実施する自動分析機に関するものであるが、再検の際に前回の分析の場合と反応条件を変更する方式が本願発明と異なり、試料に予め希釈液を加えた希釈試料を作り、これに試薬を加えた反応液を再検するようにしたものである。
三 両者の再検方式が異なるため、これらの方式を実施する自動分析機は、本願発明装置では、第一引用例装置で必要とした希釈液の貯蔵部、希釈液の分注装置及び試料を希釈するための容器等の必要がなくなり、装置が大幅に簡易化される。また、希釈液を使用しないので、希釈液の品質に基づく再検時の障害発生の要因が除かれる。
上告理由第一点
原判決は、本願発明と第一引用例との対比について、その論理に矛盾があり、原判決の理由では拒絶審決を正当とする理由には結びつかない。すなわち、理由について齟齬がある。
一 原審の判決理由は、本願発明の構成上の特徴点は(b)構成にあり、これは要するに、異常な測定結果(異常高値又は異常低値)が出た場合の再測定に際し、異常な測定結果を示した試料の分注量又は該試料の測定に用いた試薬の分注量を前回の分注量と相違させるというものであることが認められるとし、第一引用例には、再測定試料に蒸留水等の希釈用液体を注入する例が示されていると認めた上で、審決が本願発明の(b)構成に第一引用例記載の装置にみられるような試料を水等の希釈液で希釈することが包含されていることを理由として、本願発明の(b)構成が第一引用例記載の装置と実質的に同一であるとした審決の解釈は相当でないと認めている。(原審の判決理由中、二、取消理由に対する判断1ないし4)
二 ところが、原審の判決理由中、二、取消理由に対する判断5において、「(b)構成が意味するところは、要するに、いずれも水溶液である試料又は試薬の量を調整するすることで試料と試薬との混合液の濃度を変更することにほかならず、」とし、「そうであれば、第一引用例におけるように別途希釈液を加えることにより混合液の濃度を調整する方法との間に本質的な差異を認めがたい。」(一五丁裏五ないし九行)としている。
しかし、前記判決理由の「試料と試薬との混合液の濃度を変更」の実質的な意味が不明確である。すなわち、濃度とは、通常一定体積の溶液中に含まれる溶質の量で表される。ところが、混合液の場合には、溶質が2種類以上存在するから、溶質を特定して初めて何の濃度かの意味が定まるものであるが、前記のものは溶質が特定されていない。
前記の「試料と試薬との混合液の濃度」の意味は、混合液の試料の濃度、混合液の試薬の濃度又はそれらの濃度比の何れかを指しているものと解されるところ、判決でこのように認定した理由は、「本願発明の(b)構成において試料又は試薬の分注量を前回の測定時と相違させる目的は、光度計による測定において異常な測定値が出る原因をなす試料と試薬との希釈比を前回の測定値と変更する点にある」ことから認定したものである。(一五丁表、八行ないし一五丁裏四行、なお、測定値は測定時の誤記と認められる。)
してみると、「試料と試薬との混合液の濃度を変更する」とは、試料と試薬との希釈比を変更することを言い変えたものであり、この元の文章の意味に基づいて解釈すべきものである。ところが、この文章中の「希釈比」は一般に使用されている用語ではなく、分析関係者の現場用語として「反応液中の試料に対する試薬の量比」の意味に使用されている用語である。「希釈」及び「希釈度」は、通常使用され、それぞれ乙第2号証に記載された意味となるが、希釈比という用語はそれ自体からはその意味が一義的に定まっているものではない。
本願の明細書中で、「前記実施例では試料量および試薬量の少なくとも一方を変更して希釈比を変えている」(甲第2号証、九頁一ないし二行)と記載されているが、この希釈比の意味は、試料量と試薬量の一方を変更することで、両者の比率が変わった反応液とすることを指しているから、前記の「反応液中の試料に対する試薬の量比」の意味に使用されていることが明らかであり、それ以外の意味には解し得ないものである。判決においても、「希釈比」をこれと別異の意味に使用したとする事由は見当たらず、本願の明細書中の「希釈比」と同じ意味で使用したと認めるべきである。
そうすると、「試料と試薬との混合液の濃度を変更する」の実質的な意味は、試料と試薬とが混合した状態の反応液における試料濃度と試薬濃度との比を変更することを指すものとなる。
ところが、第一引用例におけるように別途希釈液を加えても、試料と試薬の量を前回と変更しない限り、混合液における試料濃度と試薬濃度との比が変化しないことは、自然法則上明らかである。第一引用例は、再検時に希釈した試料を用いることを開示するだけで、試料量自体を変更するものではない。
したがって、本願発明の(b)構成の方法と、第一引用例の方法には本質的な差異があると認めるべきである。
三 仮に、「試料と試薬との混合液の濃度を変更する」を「試料と試薬との混合液における試料濃度を変更する」の意味に解したとすると、本願の(b)構成の意味するところは、試料と試薬との混合液中の試料濃度を変更することと同じであるとする判決の判断には一応矛盾がない。
ところが、第一引用例は、希釈液を加えて希釈した試料に試薬を注入することにより、化学反応の条件を変化させ、これにより反応液の反応状態を変化させたものであり、試料に希釈液が加えられることにより結果的に混合液の試料濃度が変化するにしても、それにより反応状態を変化させたものではない。
このことは、次の事例で明らかである。
例1.試料量2+試薬量3=混合液量5
例2.試料量1+試薬量4=混合液量5
例3.(試料量1+希釈液量2)+試薬量2=混合液量5
本願の(b)構成を示す例1(通常検査)と例2(再検)とでは、混合液の試料濃度が(試薬濃度も)変ることで、混合液の化学反応の条件が変わるものである。
ところが、第一引用例の場合を示す例3(再検)では、混合液の試料濃度は例2(通常検査)と同じとなるが、反応液の化学反応の状態は通常同じにはならない。
四 第一引用例は、試料に希釈液を加たることにより混合液中の試料濃度を調整し、それにより反応状態を変化させたというよりは、希釈液を加えて試料の量を補い、その量の試料に対し試薬が最適濃度となるようにして化学反応の速度等を変化させ、光度計の測定時における反応液の状態を変えたものとみるべきである。したがって、両者の測定時における反応液の状態を変える手段は、実質的に異なる手段、異なる作用によるものであり、混合液の試料濃度を希釈により変更するという観点だけに基づいて判断するのは、混合液を化学反応させるものであることを全く考慮していないものである。
本願発明は、混合液そのものを光度計で測定するのではなく、混合液を化学反応させた反応液を測定するものであり、試料と試薬だけの混合液が反応する場合と、希釈液を加えた試料に試薬を加えた混合液が反応するのとでは、そのこと自体で化学反応の作用が異なり、両者の方法には本質的な差異があるものである。したがって、混合液の濃度をこのように解したとしても、判決の判断理由は誤りである。
上告理由第二点
原判決において取り上げた「周知事項」の内容はその技術内容を不明確のまま、拒絶審決を是認する根拠としているが、この点においても判決理由に齟齬がある。
一 原判決では、「光度計による測定の際に試料と試薬との希釈比を変えるための方法として、試料量を変える、試薬量を変える、希釈液を加えるの三つの方法が従来から周知であることも当事者間に争いがない。」として、(b)構成は、たかだか、同一の目的を達成するために当業者が適宜選択し得る手段の中から一定の方法を選択、限定したものにすぎず、」(一五丁裏十行ないし一六丁表五行)としているが、この周知事項の内容も明確でない。すなわち、「試料と試薬との希釈比を変えるための方法」の「希釈比」は、一般に使用されている用語でないのに、その意味を明確にしないまま使用されている。
すなわち、「希釈」及び「希釈度」は、通常使用される用語で、それぞれ乙第2号証に記載された意味となるが、希釈比という用語は通常使用する用語ではなく、用語自体からはその意味が明確ではない。
二 前記上告理由第一点で詳記したとおり、本願の明細書中の「希釈比」は、試料量と試薬量一方を変更することで、両者の比率が変わった反応液とすることを意味するものであり、それ以外の意味には解し得ないものである。原判決においても、「希釈比」をこれと別異の意味に使用したとする事由は見当たらず、本願の明細書中の「希釈比」と同じ意味で使用したと認めるべきである。
したがって、試料に試薬を分注した状態の反応液(混合液状態)中の試料量と試薬量の比を変更する方法を指すものと解する他ないものである。
三 そうだとすると、三つの方法のうち、試料量を変える、試薬量を変えるの二つは「試料と試薬との希釈比を変えるための方法」となるが、試料量と試薬量を変えないで希釈液を加えても、前記の意味の希釈比が変らないことは、自然法則上明らかであるから、「希釈液を加える方法」は、「試料と試薬との希釈比を変えるための方法」となり得ないことが客観的に認められる。
したがって、前記の周知事項は、形式上は過去の事実を述べているようであるが、具体的手段の裏付けも全く示されずに、実質的には自然法則に反する事実を周知とするものであり、自然法則に反する事実を根拠とする判決理由には、明らかに齟齬がある。
上告理由第三点
特許庁の拒絶審決は本願発明の技術内容は、第一引用例の技術内容との対比において実質同一であるというにあったし、原審における審理もこの点について実質同一という拒絶理由をめぐって審理がなされていたに止まっていたのに、原審判決はこの点について進歩性を欠くことを理由とする判断を示したが、審理の対象外の事項についての判断は、民事訴訟法の原則及び特許法の原則に違反するだけでなく、最高裁判所の判決例ないし東京高等裁判所の先例にも違反する。
すなわち、拒絶理由の通知を欠いたまま拒絶審決の結論を是認した原審判決は、特許法第五〇条、第一五九条第二項の手続違背があり、更に、民事訴訟法第一八六条にも違反する。
東京高等裁判所平成元年五月一三日判決、昭和六二年(行ケ)第二二三号、特許と企業二四七号四〇頁では、本件と同じように、拒絶理由を実質同一から容易推考に変更し、そのための拒絶理由通知を欠いた点を違法と判断しており、本件原判決はこの先例にも違反する。
そして、最高裁判所大法廷昭和五一年三月一〇日判決、昭和四二年(行ツ)第二八号、審決取消訴訟判決集昭和五一年度一一頁も、審理の対象を当事者が関与しないまま結論を出すことを違法と判断している。
以下、原審判決の判断が実質同一を理由とするものではなく容易推考を理由とするものである点を説明する。
一 判決理由は、本願の(b)構成と第一引用例とは、実質同一であるか、少くとも第一引用例及び周知事項から極めて容易に推考し得たものといわざるを得ないとしている。(一六丁表五ないし八行)
本願の(b)構成と第一引用例とが実質同一でないことは、既に上告理由第一点及び上告理由第二点で詳記したとおりであるが、次のことからも明らかである。
本発明の効果について、判決理由は、「原告が具体的に指摘する装置の小型化の点も当業者が試料と試薬の希釈比を変更する手段を選択するに際し、当然に考慮する程度の事項にすぎない」(一六丁裏十行ないし一七丁表一行)としている。
この判断では、(b)構成の採用により、本願発明が第一引用例における希釈液の貯蔵部材、分注装置及び攪拌装置が必要なくなり、その分だけ分析装置が簡易になり、装置全体の小型化が図れる効果を奏すること自体は認めている。しかし、その効果を「当業者が試料と試薬の希釈比を変更する手段を選択するに際し、当然に考慮する程度の事項にすぎない」と評価しているものである。この文章では、当然に何を考慮するのか明確にされていないが、少くとも第一引用例装置と効果が同一としているのではなく、予測可能性がある旨を云わんとしているものと解される。
本願の(b)構成と第一引用例とが実質同一とするには、構成だけでなく効果においても両者が実質同一でなければならないところ、前記本願発明の効果は第一引用例装置とは明らかに相違するため、予測可能性を持出したものと推測される。してみると、判決理由の判断は、(b)構成と第一引用例とが実質同一とするのではなく、実質的には発明の進歩性を否定したものである。
二 審決及び原審における被告の主張は、本願の(b)構成と第一引用例とが実質同一とするものであり、この点に関し発明の進歩性を否定する主張はない。したがって、判決理由はこの点に関し実質同一から発明の進歩性にまで審理範囲を拡張しており、発明の進歩性に関する原告の意見申立の機会を実質的に与えていない。
原判決は進歩性を欠く理由について、当事者が関与しないまま結論を出した違法がある。
(むすび)
よって、原判決は以上三点の何れの点を取り上げてみても違法であり、破棄を免れないので、その旨の判決ありたく上申する。
以上